にゃんこま、にゃんこ大戦争の4コマ漫画!

ゲームやったことあったらかなりおもろいとおもう。

並べた4つのコマを起承転結の配置とし、4コマ目にはオチを配置するのが基本的な表現形式である。現代の日本ではコマの配列は縦が一般的であるが、歴史的には必ずしもそうではなく(後述)、日本以外の地域でも「ピーナッツ」のような横配列や2列構成(田の字)などが見られる。現代の日本でも、1列に2コマ、あるいは2列構成とした作品がある。また都合上、5コマ(2列で5コマ目が他のコマの4倍。作品によっては最終ページに組み込まれることもあるが、1ページ目に組み込まれることが多く、この場合通常5コマ目の大オチがタイトル表紙を兼ねている)、3コマ(序破急)、8コマなどにコマ数が変動することもある。最近は、3コマ目にもオチを配置した2段オチと呼ばれるものや、本来は内容の表題であった小見出し(サブタイトル)もオチの要素とするもの(4コマ目まで読んで初めて小見出しの意味がわかるもの)など、必ずしも起承転結に沿わない形で笑いを取るものも多い。
複数のコマを使用した短い漫画は日本以外にも見られるが、世界的には必ずしも4コマが主流ではなく、欧米では3コマも数多く存在し、東南アジアのタイでも3コマが一般的である[1]。一方、東アジアの韓国や中国では4コマが定着したスタイルとなっている[1]。
日本における歴史[編集]

日本では江戸時代に風刺画や戯画を集めた書籍が木版画で出版されていたが、それらの中にはコマのような形で連続したストーリーに仕立てたものが存在した[2]。江戸後期に出された『北斎漫画』の中には、ページの中に4つの絵が配され、その最後で「オチ」をつけたものがあり、清水勲は「4コマ漫画の源流」と記している[3]。
江戸末期から西欧のコマ漫画のスタイルがチャールズ・ワーグマンらによって日本に紹介された。日本で最初に紹介された欧米スタイルの4コマ漫画は、ワーグマンが刊行していた『ジャパン・パンチ』に1876年に掲載された作品とみられている[4]。やがて、日本人の発行する新聞(時事新報など)や雑誌(『団団珍聞』など)でもこれに影響を受けたとみられるコマ漫画が描かれるようになった。しかし、この時代にはまだ4コマ漫画は主流ではなく、1枚絵の漫画が中心で、コマ漫画も2コマ、3コマ、6コマなどさまざまなスタイルのものが描かれていた。明治後期を代表する漫画家である北沢楽天が中心となっていた『時事新報』の漫画ページ「時事漫画」(1902年スタート)の明治期におけるコマ数別の分類では、1コマが最多で24%に対し、4コマは18%で次点にとどまっていた[5]。
また、この時代には4コマの配列も、縦4コマと2列(「田の字」)のものが混在する状況であった。